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ミュージアムガイド
UR都市機構は、前身となる1955年設立の日本住宅公団の頃からわが国のまちづくりの先導的役割を果たしてきました。ミュージアム棟では、歴史的に価値の高い集合住宅4団地計6戸の復元住戸をはじめとして、充実した映像や模型展示をとおして、都市と集合住宅のくらしの歴史やまちづくりの変遷を紹介します。
※館内に展示解説の二次元コードを設置しております。イヤホンの貸出等は行っておりませんのでご注意ください。
日本の集合住宅のはじまりから、UR都市機構が社会の要請を受けて取り組んできたまちづくりを続けてきた変遷を、4面の大迫力スクリーンで体感いただきます。(上映時間:約7分)
1923年に発生した関東大震災後の住宅復興のために設立された財団法人同潤会。同潤会が建設したわが国初期の本格的な鉄筋コンクリート造の集合住宅の中で、代官山アパートの単身住戸・世帯住戸を復元展示します。
蓮根団地は、日本住宅公団初期の代名詞となった2DK(ダイニングキッチンと2つの寝室を持つ間取り)の代表的な住宅です。ダイニングでイス座での食事をする生活を促すため、予めテーブルが備え付けられました。
晴海高層アパートは当時を代表する建築家・前川國男の設計による公団初となる10階建て高層集合住宅です。垂直に3層、水平に2戸で計6戸のユニットを1パッケージとし、3階ごとにエレベーター着床する共用廊下から、階段で上下階の住戸にアクセスするスキップ形式が採用されました。
専用庭のある長屋建ての低層集合住宅をテラスハウスと言います。昭和30年代に、主に郊外の団地で多く建設され、庭は近隣住民とのコミュニティをはぐくむ場となりました。
戦後の住宅不足解消のための標準化・量産から豊かさを求めた多様化、そして今日の団地再生やストック活用と、時代ごとの変遷を辿ります。安全で快適な暮らしを支えてきた住宅部品を壁一面に配した「団地はじめてモノ語り」も見どころです。
UR都市機構は、戦後の住宅不足を背景に1955年に設立された日本住宅公団を母体とし、さまざまな課題に半世紀以上にわたり向き合ってた中で蓄積されたまちづくりの豊富な経験とノウハウを生かし、都市再生、ニュータウン、震災復興支援をおこなってきました。これまでUR都市機構が手掛けてきたまちづくりの事業を、「メディアウォール」で一望いただけます。
ラボ41は団地内に多く作られた標準的な5階建て「板状階段室型」住棟で、すべての住戸に採光・通気が最大限に得られるように住棟を南面させ、南側にバルコニーが設けられました。
この時代の典型的な住棟の一例であり、高度経済成長期の標準的な住棟形式を今に伝える事例として貴重なものです。
※内部の常時一般公開はしておりません。
スターハウスは「ポイント型」といわれる塔状の住棟で、不整形地への対応に優れ、団地景観上のポイントしても配置されました。戦後日本で試みられた独特な住棟形式で、三角形の階段室の周囲に各階3つの住戸が放射状に配置され、全体はY字型の平面形状になっています。全住戸が3方向を外気に接するため居住環境が優れていました。
※内部の常時一般公開はしておりません。
ミュージアム棟前に広がる、芝生の広場です。今後、くらし⽅を楽しみながら探求するための様々なワークショップを展開し、「くらしの現在」が風景化していきます。
URまちとくらしのミュージアムのファニチャーは、旧東鳩ヶ谷団地(1985-)で親しまれていたものを移設・保存しています。のちに世界的な彫刻家となる流政之氏のスケッチから生まれたファニチャーは、日本の風土に根ざした明解な思想が素朴で力強い造形により表現され、団地の暮らしに溶け込み、自然な存在感を醸成していました。
住む人々の心の風景を形づくるパブリックアートの重要性を早くから提唱していたURにおいて、団地のパブリックアートの先駆けとなった流政之氏のファニチャーを、身近に触れられる文化財としてぜひ座って体感してください。